三代に渡って、玄米食を指導しています
株式会社 食 健の歴史は会社の沿革だけでは到底語ることができません。
どのようにして会社が誕生したか、そして引き継がれてきたかの「想い」もお伝えします。
創業者千坂諭紀夫
昭和14年(1939年)宮城県生まれ。大学進学のために上京。田舎では味わったことのない「しるこ」、「ラーメン」に「チャーシュー」など酸性の食品に魅せられ、食生活の偏りから、20代にして余命宣告を受けるほどの大病を併発し(『狭心症』『心筋梗塞の始まり』『糖尿病』『肝硬変の初期段階』『膵炎』『腎臓病の初期段階』)、何軒もの病院の医師から病を治すことは出来ないと宣告される。そんな時に東京大学教授・内科医・細菌学者 都立駒込病院長でもあった二木謙三博士の【病の原因は食の過ちにあり】という言葉に触れ、それを機に二木氏も実践していた玄米菜食の教えを学び実践、最終的に独自の玄米食事療法を編み出し実践することによって病気を完治させる。
自らの体験を仕事でかかわった方々に広め、それに共感してくださった方々が実践。その実践者の経験談と自らの体験を元に唯一無二の健康理論を確立。その理論を「千坂式因果法」(現『千坂メソッド』)と名付け、何を食べたら健康になり、何を食べたら病気になるのかを全国各地で講演活動をしながら啓発し、普通の食事だけでは補い切れない栄養素や多様な成分を栄養補助食品や基礎化粧品として開発。1982年1月に株式会社エスビーケー(現 株式会社 食 健)を設立し販売活動をスタートする。
創業者千坂諭紀夫の息子・現社長の千坂英樹
1963年12月、神奈川県で生まれる。米国Brigham Young(ブリガム ヤング)大学卒業。健康管理士。
1989年株式会社エスビーケー(現 株式会社食健)に入社。
1997年株式会社 食 健、代表取締役社長に就任。
千坂諭紀夫の後を継ぎ、全国各地で千坂メソッドによる健康セミナーを開催。ラジオ沖縄の長寿番組「千坂諭紀夫のヘルシートーク」を引き継ぎ番組のパーソナリティを務める。
私は出産時のトラブルで緊急の帝王切開により仮死状態で産声をあげることなく生まれ、奇跡的に生命を取り留めました。幼少期は毎月のように高熱を出し、よく母に背負われて近くの診療所に通ったものです。診療所の女医さんの顔を見ると安心し、それだけで元気になったのを今でも覚えています。
小学5年生のとき、父は私をこれ以上薬漬けにしたくないので、それまで飲み続けていた抗生物質、解熱剤、咳止めなどの薬を一切止めさせ、父が考えた食事療法でのケアが始まりました。薬に頼った治療から食事療法に急激に変わったため、いつもの扁桃腺炎による高熱や、強い咳が機関銃のように出るのを止めることが出来ず、一晩中眠れず、父に文句を言うことも出来ずに本当に苦しかったです。それでも「病院に連れて行って」とは決して言いませんでした。おそらく気持ちのどこかで薬は良くないと子供心に思っていたのでしょう。そのような生活を続けていくと、段々、免疫力もついてきたのか、扁桃腺炎による高熱や咳が出ることも少なくなり、病院に行かない生活が当たり前になっていきました。
高校卒業後、英語が苦手だったのですが父にアメリカ留学を希望し、渡米。渡米先の大学付属のEnglish Language Center(英語習得のための専門学校)に入学。クラス分けのテストでは入学した生徒中の最下位からのスタートでした。そこでは人生で初めて鼻血が出るまで英語の勉強をし、学校以外でも英語漬けの生活を送りました。その甲斐あってアメリカの大学に入学し、2つの大学を卒業することが出来、当初はアメリカの企業または日本の他の企業に就職するつもりで内定が決まっていました。
ところが、父に「どうか仕事を手伝ってほしい!」と切望されたのです。父にはたくさん世話にもなりましたし、一人っ子の私が断れば、他にはお願い出来ないこともわかっていました。どうすることがベストな選択なのか…。悩みに悩んだ末に、父に対する恩返しの気持ちで他の会社からの就職のオファーを断り、帰国し父の会社、株式会社エスビーケーに入社しました。アメリカに行く前に玄米菜食のことなど、一通りは学び、アメリカでも自分なりに玄米食も取り入れてはいましたが、まだまだ十分な知識も経験もありませんでしたので、仕事を通して千坂メソッドの理解を深め、私自身も実践をしながらお客様への千坂メソッドの食事指導を行っていきました。もちろん、私の子供たちにも薬などを使わずに千坂メソッドによる手当法や自社の栄養補助食品などを使い風邪など様々な病気の治療を実践してきました。
自分の希望よりも父への恩返しを優先して始めた仕事ですが、入社から32年が経過し振り返ってみると、この仕事を選んで本当に良かったと思います。お客様に「千坂メソッド」の食事療法と食健の商品を併用いただくことで、数えきれないほど奇跡のような「健康を取り戻された体験談」を間近に見ることが出来ました。喜んでいただけた笑顔もたくさん見ることが出来ました。このような嬉しく心が躍るような感情になれるのはこのお仕事をさせていただく者に与えられた特権でもあると思います。本当に私の何にも代えがたい宝物となっています。もし、私が他の仕事を選んでいたら、このような体験は決して出来なかったことでしょう。 今、息子がこの仕事を始めて数年が経ち、たくさんのお客様と接する中ですでに様々な体験談を目の当たりにしてきたと思います。これから、私が体験したように、そして私よりも少しでも多くのお客様にこの笑顔の輪を広げていけるように、息子には更に今の時代に合った方法でこの仕事をしっかりと引き継いでほしいと願っています。
創業者千坂諭紀夫の孫 千坂義樹
1986年生まれ。青山学院大学卒。2018年7月入社。
玄米食インストラクター。食生活アドバイザー。
私は幼い頃から玄米粗食にて育ちました。当時、次々と出来上がっていく食健商品を摂りながら、千坂メソッドに基づいた食生活を進めていました。しかし思春期を境に、甘い物やジャンクフードをこっそり食べるようになり、大きな病気はないものの、時折体調を崩しては、千坂メソッドに助けられるような生活を送るようになりました。
社会人となり、親元を離れてからはいよいよ現代的な食事になり、小麦食品を中心に、甘い物、飲酒など歯止めがかからない状態に。30歳を過ぎたころには、咳喘息や慢性的な疲労、体重増加などの不調に悩むようになりました。このままでは大病を患ってしまうのではという危機感を抱き、再び原点でもある玄米粗食に立ち返ることを決意しました。結果的に10キロ以上の減量に成功。咳喘息も克服し、改めて食事療法の素晴らしさに魅了されました。
現在は自身の経験を活かして「玄米食専門講座」を立ち上げ、オンラインレッスンなどを中心に全国各地の方に玄米食の魅力を伝えています。 男の子一人に、三つ子の女の子の4児の父親でもあり、玄米食で子育てを行っています。
いままでと、これからについて。
会社としては40年、千坂メソッド(千坂式)としては50年近くの歴史があり、伝統という言葉を意識出来るほどになってまいりました。
やはり大切なのは「創業者の想い」だと感じております。創業者にして、私の祖父でもある「千坂諭紀夫」はたった一人で、この歩みをスタートしました。
そこには並々ならぬ苦労や挫折があったと思います。それでも、この理論を伝えていく中で、一人また一人とついてきてくれる人が増え、その積み重ねで今があるのです。
そういった一つ一つの考え方、お客様への向き合い方というのは、次の世代のお客様や社員で共有していきたいと思います。
一方で、お客様への伝え方、企業としての在り方というのは、時代に沿ったものであるべきとも考えております。情報も技術も目まぐるしく動き、発展していく中で、本質が見えにくくなっていきている所があるのではないでしょうか。
その中で私達の役目は「何が本物か」ということを、その時々に出来るあらゆる手段を使って伝え続けることだと感じています。
少子高齢化、グローバル社会…いずれも叫ばれて久しいですが、このままでは日本の豊かな未来は約束されていないと思っています。そこで生き残っていく為にも、変革を恐れずに、それでいて伝統を重んじ「本物の健康」をお伝え出来ればと思います。